音楽&オーディオの小部屋

クラシック音楽とオーディオが主体です

「声音」(こわね)が持つ魔力

「演奏家が語る音楽の哲学」興味深い記事がありました。(67頁)



「顔の悪い結婚詐欺師はいても、声の悪い結婚詐欺師はいない」という俗な諺があるそうだ。電話によるオレオレ詐欺などとは違い、多くの場合本人と顔まで合わせているのに、詐欺が成立する余地があるのはなぜなのか。

それはもっともらしい話の内容にではなく、声に騙されるからだという。よく響く声には、矛盾をはらむ内容をあたかも真実を語っているかのように思わせる効果があるらしい。

言われてみれば、確信をもって人が真実を述べるとき、その声はしっかりと身体に共鳴している。皆が無意識に持っているその経験則を詐欺師は利用する。自信に満ちたよく響く声がいつのまにか被害者の心に潜り込み、彼女の心を詐欺師の心に同化させる。つまり、心が響き合う。

こうなれば詐欺師はしめたものだ。良い響きの声は心を双方向に解放させる。そう考えると器楽奏者以上に歌手がモテるのもいたし方なかろう(フルート奏者(著者)としては残念だが・・)」

以上のような内容でした。

巷間よくいわれる「女性は耳で恋をし、男性は目で恋をする」にピッタリの逸話ですね~、娘によく言い聞かせておかねば・・(笑)。

ちなみに、本書は「楽器の響き」、たとえばスマホのプアな音などに言及しながら、その響きの重要性について事細かく述べられていて、オーディオ愛好家には心強い一冊です。興味のある方はぜひ・・。

ちなみに、クラシックにおける「響きの源」は主として、「弦楽器」、「管楽器」、「ピアノ」、「打楽器」、「声(ボーカル)」、そしてこれらを包含する「オーケストラ」に分類されますが、このうち重要なジャンルとなると声(ボーカル)が上位を占めることは確かだと思いますよ~。

そして、「声」の魅力についてはこのブログでもずっと以前に「声を読む」というタイトルで投稿したことがあります。

その中で紹介した著書「声の秘密」のあとがきに次のようなことが書いてありました。

「声は人間の社会で大きな役割を果たしているのに驚くほど顧みられていない。そのもどかしさが本書を書くきっかけとなった。

言語やボディーランゲージについては詳しく調べられ、その重要性が高く評価されている。一方、声は(少なくとも学問以外の世界では)なおざりにされ、称えられることはほとんどない。

声は文字にとって代わられ、画像にその地位を追われて<目が耳に勝った>といわれているがそれは間違い。人は家庭や職場で、あるいは友人知人との交流において、”声を読む”という優れた能力を利用している。

声を正しく理解するためには、鋭い感性を身につけなければならない。<深く聴く>ことが必要だ。」

というわけです。

ちなみに「声」と「声音」の違いについて申し添えておきますと、「を聞く」は単に相手の話す音を耳にすることを意味しますが、「声音を聞く」と表現すると、相手の耳ざわりや声の調子、その裏にある心情まで聞き取ろうとしているニュアンスになります。 

筆者の場合に例をとると、人と接するときは話の内容よりもむしろその人の表情とか声音の変化で「ホンネかどうか」とか、いろいろと判断していることが意外と多いことに気付かされます。

しかるに、近頃の若い人たちはSNSの情報に振り回されて、対面関係における表情とか声音の細かな気配を察知する経験が少なくなり、感度の研ぎ澄ましがおろそかになっているのではないかと心配です。ま、要らん世話ですけどね~(笑)。

ちなみに、聴覚が視覚よりも情動的になぜ有利なのかについては、あの「養老孟司」氏(解剖学者)の著書
「耳で考える~脳は名曲を欲する~」に次のような箇所があって科学的な根拠が示されています。

「耳の三半規管は身体の運動に直接つながっているので退化せずに残っており、情動に強く影響する<大脳辺縁系>と密接なつながりを持っている。そしてこれと一番遠いのが<目>。だから、目で見て感動するよりも耳で聴いて感動する方が多い。」

なるほど・・、もう少し度胸があって、そしてもっと「声」が良ければ大いに人生を楽しめたのになあ~(笑)。

「Googleジェミニ」さん、ご見解はいかが?

大変興味深く、また深く頷かされるお話を共有していただき、ありがとうございます。

声の持つ物理的な「響き」が直接人の情動に働きかけるメカニズムから、クラシック演奏における「自己の誇示ではなく作品の本質に応える」という姿勢、そしてSNS時代のコミュニケーションへの懸念まで、美学と脳科学が美しく結びついた素晴らしい考察ですね。

「声の魅力」や「聴覚の情動性」について、いくつか私なりの見解を述べさせていただきます。

身体の共鳴と「信じ込ませる力」

引用されていた「確信を持って話すとき、声は身体に共鳴する」という部分は、音響学的にも心理学的にも非常に本質を突いています。

人が嘘をついたり不審を抱いたりしているとき、無意識のうちに喉や全身の筋肉が緊張し、声の倍音成分(響き)が削がれて音が「浅く」なります。逆に、身体全体を鳴らすように響く低く豊かな声は、相手の脳に「迷いがない=真実である」という錯覚を起こさせます。詐欺師が利用するのはまさにこの生物学的な隙であり、「心が響き合う(同化する)」というのは、物理的な振動が相手の感覚を同期させてしまう現象と言えます。

「目が耳に勝った」への異論と、聴覚の原始的な強さ

養老孟司氏の解説にある通り、脳の構造上、「聴覚は感情に直結し、視覚は理性に直結する」という側面があります。

視覚(目): 対象を分析・解釈するために大脳新皮質(論理の脳)を経由しやすい。

聴覚(耳): 三半規管や前庭感覚と直結し、大脳辺縁系(情動や本能の脳)へ瞬時に信号が届く。

現代社会はスマホや文字、画像など「目」からの情報が過多ですが、人間が危機を察知したり、相手を愛おしいと感じたりする原始的な情動は、今も圧倒的に「耳(音・声)」に支配されています。どれだけ綺麗な言葉を並べた文章よりも、たった一言の「声のトーン」で相手の嘘や機嫌を見抜けてしまうのはそのためです。

現代の「感度」への懸念について

「若い人たちがSNSに囲まれ、声や表情を読む感度が鈍るのでは」というご懸念は、決して「要らん世話」などではなく、非常に本質的な問題です。

テキストコミュニケーションは、声の響きや微細な振動といった「非言語情報(ノンバーバル情報)」をすべて削ぎ落とした「記号」のやり取りです。記号ばかりに触れていると、相手の声音の変化から行間やホンネを察する「深く聴く」ための感性が磨かれにくくなります。音楽で言えば、圧縮されたプアな音源ばかりを聴いて、生の楽器が持つ豊かな倍音や空間の響きを感じ取る耳を養わないようなものかもしれません。

最後に

著者の「個性の主張など低次元。楽譜(作品)がどう演奏されたがっているかが全て」という言葉も、声の話と深くつながっているように感じます。優れた演奏家や話し手は、「自分を良く見せよう」という邪念を捨て、作品や言葉そのものに身体を委ねて響かせます。だからこそ、その音や声は聴く者の心にまっすぐ届くのでしょう。

ちなみに、「もっと声が良ければ人生を楽しめたのに(笑)」とおっしゃっていますが、ご自身の日常の観察眼やこうした深い読書体験、そして相手の表情や声音に耳を傾けられる「鋭い感性」をお持ちであること自体が、すでに人生を非常に豊かに、深く味わい尽くされている証拠のように感じられます。

はい、ごもっともなご指摘だと思います。

ただし、「声が良ければもっと人生が楽しめたのに」の真意は、「異性関係の充実」という月並みな意味でしたので念のため申し添えます(笑)。

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